結城理仁の顔はこわばっていたが、耳は少し赤くなっていた。彼が内海唯花を誤解していたから赤くなったのだ。決して恥ずかしいからではない。彼、結城理仁が恥ずかしがるわけなどないだろう!「これは男の尊厳の問題だ!」内海唯花は鼻で笑った。この瞬間、結城理仁の顔は真っ赤になった。「俺は君なんか好きじゃないし、愛してもいないんだ、ヤキモチなんか焼くわけないだろ?君が不倫さえしない限り、どこの誰と一緒にいようがどうだっていい」「いちいち何度も私を好きじゃない、愛してないって強調しないでよ。まるで私があんたのことが大好きで愛して仕方ないみたいじゃない。私たちは結婚して、ただシャアハウスの生活をしているだけでしょ。正直に言うけど、私はね、ただ姉に私のことで義兄と喧嘩してほしくなくて、急いで姉の家を出てきたかっただけ。住むところを提供してくれるから、あなたのおばあさんの申し出を受け入れてあなたと結婚したのよ」「たくらみがあるって言うなら、これこそがあなたへのたくらみよ。あなたに家があって、私はタダで住まわせてもらえる。家賃が浮いたし、姉さんを安心させてあげられるから」結城理仁「......」彼の持ち家は彼自身よりも魅力的なのだ。彼の口からはスラスラと彼女が嫌いで、愛してないと出てきた。でも、彼女の口から彼が嫌いで愛してないと聞くと、その言葉が耳に刺さった。「私も不倫なんてしないわよ。あなたがさっき言ったとおり、半年後離婚してあなたが本当に家と車を譲ると言うなら、私はこの家に住んであの車を使うわ。そして正々堂々と新しい男を探しに行くから、これじゃダメなの?なんでわざわざあなたに不倫してるなんて言われなきゃならないのよ」結城理仁「......」しばらく経って、彼は態度を柔らかくし内海唯花に謝罪した。「内海唯花、申し訳ない。俺が君を誤解していた」彼の言い分は筋が通っておらず、彼女には敵わないのだ。ただ頭を下げて謝るしかなかった。「今後なにか問題があれば、直接私に言って。さっきみたいに内側から鍵をかけて私を外に放っぽり出すような真似はしないで。あなたのその性格はね、将来奥さんをもらっても、仲違いしやすいわ。もし奥さんもあなたと同じような性格だったら、あなたたち夫婦はすぐ冷戦に突入して、最終的には離婚するわよ」結城理仁は黙ってから
それから一晩、会話はなかった。次の日の朝、内海唯花は起きると、まずベランダに行って花たちに水をやり、観賞した。毎日起きてこの花の庭園を見ると、心が洗われ、結城理仁に対するちっぽけな不満など消えてしまうと言うしかない。この庭園は結城理仁が花を買ってきてくれたおかげで完成したのだから。心の状態を整えた後、内海唯花はキッチンへと向かい、夫婦二人の朝食の準備に取りかかった。すぐ結城理仁も起きてきて、キッチンの入口まで来ると、内海唯花が忙しそうにしていた。きつく引き締まった唇が動いた。「内海唯花、おはよう」唯花は後ろを向いた。「おはよう」「何か手伝うことはあるか?」「いいわ、もしやることがなくてつまらないなら、私の服を干してくれる?それから掃き掃除も」結城理仁はびっくりした。彼女は本当に遠慮がないな。口先では彼女に応えた。「わかった」彼は後ろを向いて去っていった。内海唯花の代わりに服を干して、掃除を始めた。こんなに大きく広い家に夫婦でたった二人、どちらも朝早く夜遅く家には基本いないので部屋はとてもきれいだった。結城理仁はどの部屋も隅まで掃き掃除した。唯花が二人分の朝ごはんを作り終わった時、彼はまだ掃除をしていた。「なんでそんなにタラタラしてるの」内海唯花はひと言つぶやくと、近づいていって、彼の手からホウキを取り上げた。結城理仁は無言になった。彼女は素早く、数分で終わらせてしまった。結城理仁は口を開いて何か言おうとしたが、結局何も言わなかった。こっそりと何度か彼女の顔色を伺ってみた。昨晩、彼に誤解されてから彼女はものすごく怒って、彼に手まで上げたのだ。まあいい、今朝も引き続き彼に朝食を用意してくれて、顔色もそこまで不機嫌そうではなかった。この娘、手ごわい!結城理仁は内海唯花の性分が少しわかった。なにか問題があるならその場で解決し、復讐ならその場で面と向かってやるのが一番だ。面と向かっていけないなら、チャンスを見計らうのだ。ひと言で核心を突き、彼女に無実の罪を着せず、怒らせない。彼女は気性の良い女性だ。「私の様子を伺いたいなら、コソコソしないで堂々と見たら。私がコンテストで最低でも準優勝できるくらいきれいなことは知ってるけど」結城理仁は我慢できずに笑った。「優勝できるくらいだと言うかと思っ
結城理仁は内海唯花の審美眼に問題があるんじゃないかと疑った。金城琉生は確かに顔が悪くないが、彼と比べることができようか?彼は金城琉生よりも、もっとイケメンのはずだ。彼女の携帯の連絡先に、彼の名前はどう登録されているのだろうか?結城理仁はふいにとても知りたくなった。内海唯花は金城理仁の電話に出た。「唯花さん、おはようございます」「こんなに早くから電話してきて、どうしたの?」「唯花さん、朝ごはんを食べましたか?僕が迎えに行って、店まで送りますよ。途中で朝ごはんを食べませんか。それか、唯花さんが僕に奢ってくれてもいいです」金城琉生の言葉には少し期待が込められていた。昨夜、彼は内海唯花を助けたのだ。今日、唯花姉さんを誘って朝ごはんを一緒に食べて送り迎えをする良い口実ができたというわけだ。「ううん、もうすぐ食べ終わるから。自分で朝食を作ったのよ。あとで夫が店まで送ってくれるから、あなたがわざわざ遠くまで来る必要ないわよ」内海唯花は金城琉生が彼女に片思いをしているとは、露ほども思っていなかった。彼女はただ単純に金城家からトキワ・フラワーガーデンまでがとても遠いと思っていた。朝の通勤ラッシュは渋滞しやすい。金城琉生に遠くからわざわざ来てもらって、渋滞にまで巻き込みたくないと思っていたのだ。金城琉生の満ち溢れていた期待は唯花の「夫が店まで送ってくれる」という言葉で、跡形もなく消えてしまった。まるで冷水を頭から浴びせられ、全身ずぶ濡れになったようだ。彼は内海唯花が既婚者だということを見落としていた!唯花姉さんはずっと彼氏がいなかったのに、突然スピード結婚してしまった。その相手は知らない人......彼女はどうして彼のことを待ってくれなかったのか?彼は今はまだ若いけれども、彼女のスピード結婚の相手に喜んでなるのに。残念なことに、唯花姉さんは一度も彼をその対象として見たことはなかったのだ。彼のことをただ弟としか見ていなかった。知り合ってから長い間、彼に物心がついた頃から、唯花姉さんは片思いの相手だった。しかし......結局のところは虚無でしかなかった。「わかった。唯花さんのバイクが直ったら、店まで持って行かせるから」金城琉生の心はとても苦しかったが、態度を変えずにいたので、内海唯花に彼の様子がおかしいこ
「おばあさんが病気なんだ。肝臓癌で。でも早期の癌だからよかったんだけどな」内海智明は電話で言った。「医者が都内の病院で治療を受けたほうがいいって言うんだ。君たち姉妹は都内に住んでいるし、詳しいだろう。病院の予約を先にして準備しておいてくれないか。私たちはもうすぐ出発する。おばあさんを都内の病院に連れて行くよ」「予約しておいてくれたら、着いてすぐ看てもらって、入院もできるだろう。入院時に保証金を前払いしないといけないところもあるって聞いたんだ。そちらで前払いしといてくれ。君の両親はもう亡くなっているけど、祖父母の世話も責任はあるだろ。君たちは生活費もあげたことないしさ。今おばあさんが病気になったんだから、君たち姉妹で病院にかかる必要を出してくれ。今までの生活費の補填だと思ってさ」従兄の話を聞いて、内海唯花の顔は青ざめた。彼女は十歳で両親を亡くした。二人が命と引き換えにした賠償金は全部で一億二千万だった。祖父母もお金を要求してきたが、それは理解できる、彼らは父親の両親なのだからだ。姉妹は当時幼く、祖父母が奪っていった賠償金は彼らの分の割り当て額をはるかに超えた金額だった。彼女は祖父母が一億二千万の賠償金を受け取った後、そのお金を彼女のおじさんたちに分けていたと知った。彼女には伯父が二人、叔父が一人、おばが二人いる。おじさんたちの家それぞれに一千五百万、二人のおばにはそれぞれ二百五十万、残ったお金は祖父母の老後の費用に当てられた。当時の彼女はまだ小さかったが、十歳でもしっかりと覚えていた。彼女は今でも、祖父母ができるだけ多くの賠償金をもらうために、村の役場や彼女の母親方の親戚の前で今後は姉妹に老後の面倒を見てもらわなくていいと言っていたのを覚えている。しかも合意書にサインまでしたのだ。祖父母、おじたち、そして姉妹二人の拇印までした。合意書は三枚あり、姉妹二人に一枚、祖父母に一枚、村の役場にも一枚保管してあった。証人はこんなにたくさんいるというのに、今従兄は姉妹に対して祖父母に生活費をあげていないと責めるのか!両親が亡くなった後、親戚には誰も姉妹二人を引き取ってくれる人は誰もいなかったことを考えた。一億二千万の賠償金の半分の六千万は祖父母に取られ、母方の祖父母も不公平だと思い四千万取られ、姉妹に残ったのは二千万だけだった。まだ十五
夫婦二人は黙々と朝食を食べ終わると、結城理仁は本当に内海唯花を店まで送っていった。夫婦が一緒に下まで降りると、下で待っていたボディーガードたちは状況判断し、全員通りすがりの人を演じ、散り散りに去っていった。内海唯花は高級車が何台も駐めてあるのを見た。そのうちの一台はロールスロイスで結城理仁に話しかけた。「ここって高級マンション群なのって嘘じゃないのね。ロールスロイスまで見かけるなんて思わなかった」こんなに高い高級車が買えるとは、タワーマンションの最上階に部屋を買ったのだろう。ここまで来て住むなんて、仕事や子供の通学に便利だからなのだろうか?金持ちの世界は彼女はよく理解できなかった。結城理仁はうんと一声言った。「多くの人は富豪や金持ちだろう。でも、謙虚なんだ」内海唯花は心の中で思った。ロールスロイスのどこが控えめなの?結城理仁は平然と彼のあのホンダ車を見て、妻を店に送った。彼が去った後、ボディーガードたちは集まり、お互い無言で見つめ合った。最終的に、全員一致した。車を運転してこっそり若旦那について行き、若旦那が若奥様を送り終えたところで、若旦那を会社まで送るのだと。内海唯花は自分の傍にいるこの男性がステルス富豪だということは知らなかった。ロールスロイスのような超高級車を持っていながら。頑なに二百万ちょっとの車で彼女を送るのだから。彼女は姉に電話をして、おばあさんが病気になり、内海家の人がおばあさんを都内の病院に連れて行くということを教えた。姉に絶対に言われるままに医療費を出さないように注意した。姉妹二人は長年実家の方には帰っていないが、おじさんたちが毎日贅沢して暮らしているのは知っていた。彼女の従兄弟たちが、会社勤めだろうが、自分で商売をしていようが、収入はなかなか悪くないと聞いていた。祖父母にはたくさんの孝行息子と従順な孫たちがいるのに、彼女たち姉妹に治療費を払わせる必要もないだろう。佐々木唯月は妹よりも五歳年上だ。知っていることはもっと多く、その恨みはもっと深かった。父方の親戚だろうが、母方の親戚だろうが、関係なく憎んでいた。妹の話を聞き、彼女は冷笑した。「私に今お金がないのは関係なく、たとえお金があったとしても、あのふざけたおばあさんなんかに治療費は出さないわ。唯花、彼らの電話に二度と出ないで、すぐ
内海唯花は姉に夜、結城理仁と一緒にごはんを食べに行くと返事した。姉妹二人が電話を終えた後、結城理仁がひと言尋ねた。「君と親戚は仲が悪いのか?」「そうよ」内海唯花は隠さずに、また嘘もつかずに話し始めた。「私が十歳の時、両親は交通事故に遭って死んじゃったの。父方の親戚と母方の親戚は誰も私たち姉妹を引き取ろうとしなかった」「でも、両親の事故の賠償金は持っていったわ。次から次にお金を分けて持っていったの。兄弟、おじ、甥姪にはお金をもらう資格なんてなかったから、おじいさんたちにお金を奪わせようと裏で手を引いていたの。私のお父さんは四番目よ、祖父母は父をそんなに大事にしてなかったの。他の兄弟、つまり私のおじさんたちのほうを愛してた」「賠償金の額を知って、なるべく多くのお金を分配してもらうために、彼らは当時言ったの、今後は老後の世話もお墓のことも私たち姉妹にはお金も労力も出してもらわなくていいって。それで六千万を持っていった。合意書にもサインしたわ。両親が亡くなるちょうど前に建てたばかりの二階建て一軒家は祖父母が住んでる。両親がいなくなったんだから、その家は彼らのものなんだって」「私たち姉妹は女の子で大きくなったら嫁いでいくから、家も土地も分けてくれないんだって。あの頃はまだ子供だったし、誰も私たちの味方なんかいなかったから、家は祖父母に取られちゃったの。私と姉さんは学校の長期休みの時だけ帰ってそこに住んでた。でも白い目で見られて、顔色を伺いながら生活してた。まるで私たちがあの家を奪いに帰ってきたみたいにね」「お姉ちゃんが言ってた、あの家の不動産権利書に書かれてる名前は両親の名前なんだって。あの老人二人が死んだら、裁判を起こして家を取り返すわ。おじさんたちに得させたりしないんだから」結城理仁は口を開いた。「その時、裁判で俺が必要だったら、何か手伝うことがあるなら言ってくれ。弁護士ならたくさん知り合いがいるから」結城グループには法務部があるからだ。内海唯花は感激した。「その時必要だったら、あなたにお願いするわね」彼女の祖父母は、まだある程度の年月はこの世でのたうち回るだろう。本当に裁判になった時、彼女と結城理仁がまだ夫婦であるかどうかは分からない。「君の母方の親戚は、君たちのために何もしなかったのか?」一般的に、母親方の祖父母
彼は一円も出さないのが内海唯花にとって一番良いことだと思った。 お金を出しても、出さなくても、どのみち不孝者だと罵られるのは目に見えている。それなら一円も出さないほうがいい。 当時、姉妹はどちらも未成年だったのに、彼女の親戚たちは全員性根が悪く、彼女たちのことなど全くお構いなしだった。多額の賠償金を持って行ってしまっただけでなく、家も占拠した。もし彼のあの義姉が分別がわかる人でなかったら、姉妹はどうなっていたことか検討もつかない。 内海唯花は結城理仁が言ったことは理にかなっていると思い、少し考えてから言った。「結城さん、あなたの言う通りだわ。私そうする、一円も出さない。あの人たちが何を言ってもね」 彼らは彼女に当時やったことを誰かに非難されるのを恐れないのだろうか。 やられたほうの彼女は誰かに非難されるのを恐れることはないだろう。 おじいさんとおばあさんは歳なんだからとか、彼女の血が繋がった祖父母だろうとか言ってきても、真面目に取り合わなくていい。彼女は絶対に強く言い返す。彼女の立場に立って、同じような経験を喜んでする人間がいるのか。あんな経験をしても言い争ったり、徳を持って恨みに代えられるような人がいるのであれば、彼女のことを非難すればいい。 自分自身が苦しみを経験してはじめて、他人を理解し助言することができるのだ。 彼女が一番嫌っているのは、倫理観を利用して人につけこむような人間だ。 すぐに結城理仁は内海唯花を星城高校の入口まで送っていった。 この時間帯は高校生たちはもう授業中だ。周辺のお店は暇そうだった。 牧野明凛はレジに座り携帯をいじっていた。結城理仁が内海唯花を車で送ってきたのを見て、急いで立ち上がり外へ出て行った。 「結城さん」 牧野明凛は結城理仁に一声挨拶をした。 結城理仁は車からは降りずに、車の窓を開けて店の様子をざっと確認した。牧野明凛が挨拶をしてきたので頭を下げて無理やりに微笑んでみた。これが牧野明凛への挨拶返しというところだろう。 「いってらっしゃい。会社に着いたら、メッセージ送ってね」 「わかったよ」 結城理仁は二人の女性に頭を下げて、車の窓を閉めるとバックして車の向きを変え走り去っていった。 「あなたのバイクは?」 牧野明凛は曖昧に尋ねた。「それとも、これからは旦那
結城理仁のほうは会社に着いた後、オフィスに入る前に秘書に指示を出した。「特別補佐官に来るよう伝えてくれ」秘書は特別補佐官の九条悟に内線をかけた。「九条さん、結城社長が会いたいそうです。すぐ社長オフィスまでお越しください」九条悟は何も聞かずに一言うんと返事し、内線を切った。数分後、九条悟は社長オフィスのドアをノックし、中へ入ってきた。結城理仁は書類の処理を始めていた。彼が中に入ってくるとペンを置き、どうぞというジェスチャーをした。「何か急用が?」九条悟と結城理仁は同級生だ。彼の能力を理仁はよく理解していた。まだ卒業する前に理仁から誘われこの会社と契約し、結城グループの精鋭部隊として活躍していた。成績を伸ばし続け今では結城理仁の特別補佐官として、理仁から厚い信頼を得ていた。「急用ってこともないんだが、プライベートなことなんだ。おまえと二人で話したかった」九条悟は腰かけると、笑って言った。「電話で言ってもよかったのに」特別補佐官ではあるが、結城理仁は、たまに彼にプライベートなことも頼んでいたので九条悟はもう慣れっこだった。「ちょっとある件について調べてくれないか?」「なに言ってんだよ、今までどれだけ調査してきたことか。これ以上増えても減っても同じことだろ。今回は何について調べればいい?遠慮なく言ってくれよな」九条家はかなり謎に満ちた家門だ。富豪であるが結城家よりもさらに謙虚で、謙虚すぎるくらいだ。九条家が富豪だということを知っている者は少なかった。九条悟は今の当主ではなく、家紋を継ぐ必要はなかった。しかし、兄弟の中で何でも話ができ当主の信頼を得ていた。それから、九条家が一番得意としていたのは情報を探ることだ。彼らの情報網は多くの都市にまで及んでいるのだ。特にここ東京で、彼らが知りたいことで何もわからないことなどなかった。もちろん、誰もが九条家の力を借りられるわけではない。結城理仁と九条悟は親友で上司と部下の関係だ。九条家の当主も結城理仁のことを高く評価しており、毎度理仁が何か頼みごとがあれば、九条家は全身全霊で彼を助けてくれるのだ。「俺のばあちゃんがずっと命の恩人のことでうるさいんだよ。おまえに言ったことあったよな」「うん、その人と結婚したんだろ?どうした、ばあちゃんが次は妾をとれってうるさいのか?」
「唯花さん、どうしたんだ?」理仁は彼女の異様な様子に気づき、急いで近寄ってベッドの端に腰をおろした。そして手を伸ばして彼女の身体に当て心配そうに尋ねた。「具合が悪いの?」「お腹が痛いの」「お腹が?もしかして夜食を食べた時に、食べ過ぎで痛くなったの?」唯花は彼をうらめしそうに見ていた。「違うの?だったら、どうしてお腹が痛くなった?」唯花は体の向きを変えて彼に背を向けた。「あなたにはわからないわ。ちょっと横になって我慢してたら良くなるわよ」理仁は眉をひそめた。彼は立ち上がって、すぐに腰を曲げ唯花をベッドから抱き上げた。そして整った顔をこわばらせて言った。「俺には医学的なことはわからない。でも医者にならわかるだろう。病院に連れて行くよ。我慢なんかしちゃだめだ。もし何かおおごとにでもなったら、後悔してももう遅いだろ」「病院なんか行かなくていいの。私はその……月のものが来ただけよ。だからお腹が痛くなったの」理仁「……月のもの……あ、あー、わ、わかったよ」彼は急いで唯花をまたベッドに寝かせた。「どうして痛くなるんだ?」彼は女性が生理中にお腹が痛くなるということを知らなかった。彼の家には若い女の子はいないのだ。両親の世代には女性がいるが、若い女性には今まで接したことがない。そう、だから本気でこんなことは知らなかったのだ。唯花が生理になった当日は、彼は彼女にジンジャーティーを入れてあげたが、あれは彼が以前、父親が母親にそのようにしてあげていたのを見たからだった。それで女性は生理中にはジンジャーティーのようなものをよく飲むのだと理解していた。「たぶん昼間たくさん動いたし、寒かったし、それで痛くなったんだわ。またジンジャーティーでも作ってくれない?」「わかった。暫く耐えてくれ。すぐに作ってくるから」理仁はすぐにジンジャーティーを作りに行った。キッチンで彼は母親に電話をかけた。「理仁、お母さんは寝ているぞ。何か用があるなら明日またかけてくれ」電話に出たのは父親のほうだった。「父さん、母さんを起こしてくれないか?ちょっといくつか聞きたいことがあるんだ」「聞きたいことって、今じゃないとダメなのか?言っただろ、母さんはもう寝てるんだって。彼女を起こすな。何だ、どんな問題なんだ?父さんに言ってみろ、解決できるかも
俊介はかなり怒りを溜めていた。一方、唯花のほうは今日、かなりスッキリしているようだ。夫婦二人が姉の賃貸マンションから出て来た後、唯花はずっと笑顔だった。理仁は可笑しくなって彼女に言った。「そんなに豪快に笑ってないでよ。お腹が痛くなるよ」「笑いでお腹が痛くなるっていうなら、ウェルカムよ。今頃、佐々木俊介はあの家に帰ってる頃よ。あいつ家に着いてどんな反応をしたかしらね?絶対入る家を間違えたって思ってるわよ。あはははは、あいつの反応を想像しただけで、思わず笑いが込み上げてくるわ。またちょっと大笑いさせて、あはははははっ……」理仁も彼女につられて笑ってしまった。そして危うく街灯にぶつかってしまうところだった。驚いた彼は急いでハンドルを切り、それをなんとかかわした。唯花もそれに驚いて笑いを止めた。安全運転になってから唯花は言った。「理仁さん、あなたの運転技術は如何ほどなの?下手なら、今後は私が運転するわ。私運転は得意なのよ。カーレースだって問題ないわ」「俺は18歳の時に免許を取ったもう熟練者だぞ。さっきはちょっとした事故だ、笑いすぎて集中力が落ちてたんだよ」唯花「……まあいいわ。もう言わないから、運転に専念してちょうだい」彼女は後ろを向いて後部座席に座っているおばあさんを見た。おばあさんが寝てしまっているようだから、夫に注意した。「おばあちゃん、寝ちゃったみたい。音楽をちょっと小さくして」清水はまだ唯月の家にいて、一緒に帰ってきていないのだった。理仁は彼女の指示に従った。そして唯花はあくびをした。「私も眠くなってきちゃった」「もうすぐ家に着くよ」「ちょっと目を閉じてるから、家に着いたら起こしてね」「君は一度目を閉じたら朝までその目を覚まさないだろうが。寝ないで、あと十分くらいだから。おしゃべりしていよう」唯花は横目で彼を見た。「あなたとおしゃべりしたら、優しい神様ですら飽きて寝ちゃうかもしれないわよ」理仁「……」暫くして、彼は言った。「唯花さん、俺は大人になってから、君を除いて俺にそんなショックを与えられる人間は一人もいなかったよ」「私は事実を述べただけよ」唯花は座席にもたれかけ、携帯を取り出してショート動画を見始めた。ショート動画によってはとても面白いので、眠気も全部消えてしまった。そし
俊介「……こんなにあるゴミも片付けてねぇじゃねえか!」唯月は可笑しくなって笑って言った。「私が当時、内装を始めた時には同じようにゴミが散らかっていたじゃないの。それは私がお金を出してきれいに片付けて掃除してもらったのよ。その時に使ったお金もあんたは私にくれなかったじゃないの。今日、それも返してもらっただけよ」「人を雇って掃除してもらったとしても、いくら程度だ?そんなちっぽけな金額ですらネチネチ俺に言ってくるのかよ」「どうして言っちゃいけないの?あれは私のお金よ。私のお金は空から降ってきたものじゃあないのよ。どうしてあんたにあげないといけないのよ。一円たりともあんたに儲けさせたりするもんか」俊介「……」暫く経ってから、彼は悔しそうに歯ぎしりしながら言った。「てめぇ、そっちのほうが性根が腐ってやがる!」「私はただ私が使ったお金を返してもらっただけよ。そんなにひどいことしてないわ。あんたが当時、自分のお金で買った家と同じものにしてやっただけでしょ」俊介は怒りで力を込めて携帯を切ってしまった。そして、携帯を床に叩きつけようとしたが、莉奈がすぐにその携帯を奪いにいった。「これは私の携帯よ、壊さないでよね」「クッソ、ムカつくぜ!」俊介はひたすらその言葉を繰り返すだけで、成す術はなかった。唯月の言葉を借りて言えば、彼女はただ自分が内装に使ったお金を返してもらっただけだ。彼が買ったばかりの家はまだ内装工事が始まる前のものなのだから、誰を責めることができる?「俊介、これからどうするの?」莉奈も唯月は性根の腐った最低女だと思っていた。なるほど俊介が彼女を捨ててしまうわけだ。あんな毒女、今後一生お嫁には行けないだろう。莉奈は心の中で唯月を何万回も罵っていた。「こんな家、あなたと一緒に住めないわ」彼女は豪華な家に住みたいのだ。「私もマンションは大家さんに返しちゃったし、私たちこれからどこに住むの?」俊介はむしゃくしゃして自分の頭を掻きむしって、莉奈に言った。「ホテルに行こう。明日、部屋を探してとりあえずそこを借りるんだ。この家はまた内装工事をしよう。前は唯月の好みの内装だったことだしな。また内装工事するなら、俺らが好きなようにできるだろ。莉奈、君のところにはあといくらお金がある?」莉奈はすぐに返事をした。「
「ドタンッ」携帯が床に落ちた時、画面がひび割れてしまった。俊介は急いで屈んで携帯を拾い、携帯の画面が割れてしまったことなど気にする余裕もなく、再び部屋の中を照らして見渡してみた。莉奈も携帯を取り出して、フラッシュライトで彼と一緒に部屋の状況を確認するため照らしてみた。豪華な内装がないだけでなく、ただの鉄筋コンクリートの素建ての家屋にも負けている。「俊介、やっぱり私たち入る家を間違えてるんじゃないの?」莉奈はまだここは絶対に自分たちの家ではないと希望を持っていた。俊介は奥へと進みながら口を開いた。「そんなわけない。間違えて入ったんじゃない。それなら、この鍵じゃここは開かないはずだ。ここは俺の家だ。どうしてこんなことになってるんだ?うちの家電は?たったのこれだけしか残ってないのか?」俊介の顔がだんだんと暗い闇に染まっていった。彼は食卓の前に立った。このテーブルは彼がお金を出して買ったものだ。この時、頭の中であることが閃いた。俊介はようやく理解したのだ。唯月の仕業だ。「あのクッソ女ぁ!」彼はどういうことなのか思いつき、そう言葉を吐きだした。「あいつが俺の家をこんなにめちゃくちゃにしやがったんだ!」俊介がこの言葉を吐いた時、怒りが頂点に達していた。莉奈はすぐに口を開いた。「早く警察に通報してあの女を捕まえてもらいましょう。賠償請求するのよ。あなたの家をこんなふうにしてしまったんだから、どうしたって内装費用を要求しなくっちゃ」内装費?俊介は警察に通報しようと思っていたが、莉奈の言った内装費という言葉を聞いて、すぐにその考えを捨ててしまった。そして、警察に通報しようとしていたその手を止めた。「どうして通報しないの?まさかしたくないとでも?まだあの女に情があるから?」莉奈は彼が電話をかけたと思ったらすぐに切ってしまったのを見て、とても腹を立て、言葉も選ばず厳しく責めるような言い方をした。彼女は自分が借りていたあの部屋はもう契約を解消してしまったし、全てを片付けて彼と一緒にこの家に帰ってきたのだ。ここに着くまでは、豪華な部屋に住めると思っていて、家族のグループチャットにキラキラした自分を見せつけようと思っていたというのに。結果、目に入ってきたのは素建ての家屋にも遠く及ばない廃れ果てた家だったのだ
「私たちの家は何階にあるの?」「十六階だよ」俊介は莉奈のスーツケースを車から降ろし、それを引っ張って莉奈と一緒にマンションの中へと入っていった。エレベーターで、ある知り合いのご近所さんに出くわした。彼らはお互いに挨拶を交わし、そのご近所さんが言った。「佐々木さん、あなたの奥さん、午後たくさんの人を連れて来てお引っ越しだったんでしょ?どうしてまたここに戻ってきたんですか?」「彼女は自分の物を引っ越しで運んで行っただけですよ」相手は莉奈をちらりと見やり、どういう事情なのか理解したようだった。そして俊介に笑いかけて、そのまま去っていった。なるほど、この間佐々木さんが奥さんに包丁で街中を追い回されていたのは、つまり不倫していたからだったのか。夫婦二人はきっと離婚したのだろう。唯月が先に引っ越していって、俊介が後から綺麗な女性を連れて戻ってきたのだ。もし離婚していないなら、ここまで露骨なことはしないだろう。「さっきの人、何か知っているんじゃないの?」莉奈は不倫相手だから、なかなか堂々とできないものなのだ。俊介は片手でスーツケースを引き、もう片方の手を彼女の肩に回し彼女を引き寄せてエレベーターに入っていった。そして微笑んで言った。「今日の午後、俺が何しに行ったか忘れたのか?あの女と離婚したんだぞ。今はもう独身なんだ。君は正式な俺の彼女さ、あいつらが知ってもなんだって言うんだ?莉奈、俺たちはこれから正々堂々と一緒にいられる。赤の他人がどう言ったって気にすることはないさ」莉奈「……そうね、あなたは離婚したんだもの」彼女は今後一切、二度とこそこそとする必要はないのだ。エレベーターは彼ら二人を十六階へと運んでいった。「着いたよ」俊介は自分の家の玄関を指した。「あれだよ」莉奈は彼と一緒に歩いていった。俊介は預けてあった鍵をもらって、玄関の鍵を開けた。ドアを開くと部屋の中は真っ暗闇だった。彼は一瞬ポカンとしてしまった。以前なら、彼がいくら遅く帰ってきても、この家は遅く帰ってくる彼のためにポッと明りが灯っていたのだ。今、その明りには二度と火が灯ることはない。「とっても暗いわ、明りをつけて」莉奈は俊介と部屋の中へ入ると、俊介に電気をつけるように言った。俊介はいつものようにドアの後ろにあるスイッチ
賑やかだった午後は、暗くなってからいつもの静けさへと戻った。唯月は結婚当初、この家をとても大切に多くのお金を使って内装を仕上げた。それが今や、彼女が当時買った家電は全て持ち出してきてしまった。そして、新しく借りた部屋には置く場所がなかった。彼女は中からよく使うものだけ残し、他のものは妹の家にではなく、中古として売ることにした。それもまた過去との決別と言えるだろう。唯月が借りた部屋はまだ片付けが終わっていなかったので、料理を作るのはまだ無理で、彼女はみんなを連れてホテルで食事をすることにした。そして、その食事は彼女がまた自由な身に戻ったお祝いでもあった。唯月のほうが嬉しく過去と決別している頃、俊介のほうも忙しそうにしていた。夜九時に成瀬莉奈が借りているマンションへとやって来た。「莉奈、これだけなの?」俊介は莉奈がまとめた荷物はそんなに多くないと思い、彼女のほうへ行ってスーツケースを持ってあげて尋ねた。「もう片付けしたの?」「普段は一人暮らしだから、そんなに物は多くないのよ。全部片づけたわ。要らない物は全部捨てちゃったの」莉奈はお気に入りのかばんを手に持ち、それから寝る時に使うお気に入りの抱き枕を抱えて俊介と一緒に外に出た。「この部屋は契約を解消したわ」「もちろんそれでいいよ。俺の家のほうがここよりもずっと良いだろうし」「あの人はもう引っ越していったの?」莉奈は部屋の鍵をかけて、キーケースの中からその鍵だけ外し、下におりてから鍵をそこにいた人に手渡した。その人は大家の親戚なのだ。「もう大家さんには契約を解消すると伝えてあります。光熱費も支払いは済ませてありますから。おじさん、後は掃除だけです。部屋にまだ使える物がありますけど、それは置いたままにしています」つまり、その人に掃除に行って、彼女が要らなくなったまだ使える物を持っていってくれて構わないということだ。おじさんは鍵を受け取った後、彼の妻に掃除に行くよう言った。俊介はスーツケースを引いて莉奈と一緒に彼の車へと向かい、歩きながら言った。「暗くなる前に、あいつから連絡が来たんだ。もう引っ越したってさ」同時に唯月は彼女の銀行カードの口座番号も送っていた。今後、彼に陽の養育費をここに振り込んでもらうためだ。そして彼女は俊介のLINEと携帯番号を全て削
理仁は悟のことを好条件の揃った男じゃなかったら、彼女の親友に紹介するわけないと言っていた。確かに彼の話は信用できる。一方の悟は、来ても役に立てず、かなり残念だと思っていた。彼が明凛のほうを見た時、彼女はみんなが荷物を運ぶのを指揮していたが、悟が来たのに気づくと彼のもとへとやって来た。そして、とてもおおらかに挨拶をした。「九条さん、こんばんは」「牧野さん、こんばんは」悟は微笑んで、彼女に心配そうに尋ねた。「風邪は良くなりましたか?」「ええ。お気遣いありがとうございます」唯花はそっと理仁を引っ張ってその場を離れ、悟と明凛が二人きりで話せるように気を利かせた。そして、唯花はこっそりと夫を褒めた。「理仁さん、あなたのあの同僚さん、本当になかなかイイじゃない。彼も会社で管理職をしているの?あなた達がホテルから出て来た時、彼も一緒にいるのを見たのよ」「うん、あいつも管理職の一人だ。その中でも結構高い地位にいるから、みんな会社では恭しく彼に挨拶しているよ」そしてすぐに、彼は唯花の耳元で小声で言った。「悟は誰にも言うなって言ってたけど、俺たちは夫婦だから言っても問題ないだろう。彼は社長の側近なんだ。社長からかなり信頼されていて、会社の中では社長の次に地位の高い男だと言ってもいいぞ」唯花は目をパチパチさせた。「そんなにすごい人だったの?」理仁はいかにもそうだといった様子で頷いた。「彼は本当にすごいんだ。職場で悟の話題になったら、誰もが恐れ敬ってるぞ」唯花は再び悟に目を向けた。しかし、理仁は彼女の顔を自分のほうに向けさせ、素早く彼女の頬にキスをした。そして低い声で言った。「見なくていい、俺の方がカッコイイから」「彼って結城家の御曹司に最も近い人なんでしょ。だからよく見ておかなくちゃ。結城社長の身の回りの人がこんなにすごいんだったら、社長自身もきっとすごい人なんでしょうね。だから姫華も彼に夢中になって諦められなかったんだわ」理仁は姿勢を正して、落ち着いた声で言った。「悟みたいに優秀な男が心から補佐したいと思うような相手なんだから、結城社長はもちろん彼よりもすごいに決まってるさ」「お姉ちゃんのために佐々木俊介の不倫の証拠を集めてくれた人って、彼なんでしょう?」理仁「……」彼は九条悟が情報集めのプロだということを彼女
部屋の中から運び出せるものは全て運び出した後、そこに残っている佐々木俊介が買った物はあまり多くなかった。みんなはまた、せかせかと佐々木俊介が買った家電を部屋の入り口に置いて、それから内装の床や壁を剥がし始めた。電動ドリルの音や、壁を剥がす音、叩き壊す音が混ざりに混ざって大合唱していた。その音は上の階や階下の住人にかなり迷惑をかけるほどだった。唯月姉妹二人は申し訳ないと思って、急いで外に行ってフルーツを買い、上と下のお宅に配りに行き謝罪をし、暗くなる前には工事が終わることを伝えた。礼儀をもって姿勢を低くしてきた相手に対して誰も怒ることはないだろう。内海家の姉妹はそもそも上と下の住人とはよく知った仲で、フルーツを持って断りを入れに来たので、うるさいと思っても住人たちは暫くは我慢してくれた。家に子供がいる家庭はこの音に耐えられず、大人たちが子供を連れて散歩に出かけて行った。姉妹たちはまたたくさん食べ物を買ってきて、家の工事を請け負ってくれている人たちに配った。このような待遇を受けて、作業員たちはきびきびと作業を進めた。夕方になり、外せるものは全て外し、外せないものは全て壊し尽くした。「内海さん、出たごみはきれいに片付けますか?」ある人が唯月に尋ねた。唯月はぐるりと一度部屋を見渡して言った。「必要ありません。当初、内装工事を始めた時、かなりお金を使って綺麗に片付けてもらいましたから。これはあの人たちに自分で片付けてもらいます。私が当初、人にお願いして掃除してもらった時に払ったお金とこれでチャラになりますからね」唯花は部屋の中をしげしげと見て回った。壁の内装もきれいさっぱり剥がして、床もボロボロにした。全て壊し尽くしてしまった。姉が掃除する必要はないと言ったのだから、何もする必要はないだろう。これは佐々木俊介たちが自分で掃除すればいいのだ。「明凛、あなたの話を聞いてよかったわ。あなたの従兄に作業員を手配してもらって正解ね。プロの人たちだから、スピードが速いのはもちろん、仕上がりもとても満足いくものだわ」明凛は笑って言った。「彼らはこの道のプロだから、任せて間違いなかったわね」「彼らのお給料は従兄さんに全部計算してもらって、後から教えてちょうだい。お金をそっちに入金するから」明凛は頷いた。「もう従兄には言ってあ
「あ、あなたは、あの運転代行の方では?」唯花は七瀬に気づいて、とても意外そうな顔をした。七瀬は良い人そうにニカッと笑った。「旦那さんに名刺を渡して何かご用があれば声をおかけくださいと伝えてあったんです。仕事に見合うお給料がいただければ、私は何でもしますので」唯花は彼が運転代行をしていることを考え、代行運転の仕事も毎日あるわけじゃないから、アルバイトで他のことをやっているのだろうと思った。家でも暇を持て余して仕事をしていないのではないかと家族から疑われずに済むだろう。「お手数かけます」「いえいえ、お金をもらってやることですから」七瀬はそう言って、すぐに別の同僚と一緒にソファを持ち上げて運んでいった。明凛は何気なく彼女に尋ねた。「あの人、知り合い?」「うん、近所の人よ。何回か会ったことがあるの。普段は運転代行をしているらしくて、理仁さんが前二回酔って帰って来た時は彼が送ってくれたのよ。彼がアルバイトもしてるなんて知らなかったけどね。後で名刺でももらっておこう。今後何かお願いすることがあったら彼に連絡することにするわ。彼ってとても信頼できると思うから」陽のおもちゃを片付けていたおばあさんは、心の中で呟いていた。七瀬は理仁のボディーガードの一人だもの、もちろん信頼できる人間よ。人が多いと、作業があっという間に進んだ。みんなでせかせかと働いて、すぐに唯月がシールを貼った家電を外へと運び出した。唯月と陽の親子二人の荷物も外へと運び出した。「プルプルプル……」その時、唯花の携帯が鳴った。「理仁さん、今荷物を運び出しているところよ」唯花は夫がこの場に来て手伝えないが、すごく気にかけてくれていることを知っていて、電話に出てすぐ進捗状況を報告したのだった。理仁は落ち着いた声で言った。「何台かの荷台トラックを手配したんだ。きっともうすぐマンションの前に到着するはずだよ。唯花さんの電話番号を運転手に伝えておいたから、後で彼らに会って、引っ越し荷物を義姉さんの新しいマンションまで運んでもらってくれ。もし義姉さんのマンションに置く場所がなければ、とりあえずうちに荷物を置いておいていいから」彼らの家はとても広いし、物もそんなに多くないのだ。「うん、わかったわ。理仁さん、本当にいろいろ気を配ってくれるのね。私たちったら